昭和一桁生まれの両親。東北の小さな村の暮らしと生活感が蘇りました。
(50代 白石三太郎様からの投稿です)
実家の押入れのなかに無造作に積み上げられた写真を、全てデジタル化することを思いたったのは、今から三年前のことです。
当初は、実家を片づける合間に、自分で写真のスキャニングをすることも考えましたが、ボリュームに無理がありました。
昭和一桁生まれの両親は、思い出としてとってある「写真」の量が、尋常ではありません。
思いつきを完遂するうえでキモとなるのは「何を自分でやり、何をアウトソーシングするか」の切り分けにあることを直感しました。
自分の役割は、大量の写真を年代やテーマ別に並べ替えることに決め、スキャニングは、アウトソーシングする方針を固めました。
ネットで検索した際、一番にヒットしたのが「節目写真館」です。
サービス内容がこちらの要望通りであることに加え、納期に余裕がある場合に値引きがあることも魅力でした。
早速発注すると「後工程に引き渡す期限」が自分のなかで明確になりました。
ゴール確定は、作業の先のばし防止にテキメンでした。
加えて、押入れを陣取っていた大量の写真やアルバムが片づいたことで、その後の不用品の整理整頓が、すこぶるはかどりました。
それからしばらくして、父の持病が悪化したことや、母の認知症が進行したために、両親は、介護施設に入居することになりました。
自分の役割は、それまでの自宅での介護から、仕事の休日に介護施設を訪れ、両親と懐かしい思い出話に花を咲かせることに変わりました。
(母曰く)「小滝小町」と村で評判の少女であった。
(父曰く)「小滝小町」を射止めた男と職場の仲間からうらやましがられた。
徐々に衰弱していく父、認知症が進行した母ですが、故郷の訛りで昔のことを自慢するときは、自由闊達な若者のようでした。
我が家がそんなタイミングを迎えた頃、昭和の始めから平成の終わりにかけての「家族の歴史」が時系列に並んだ1000枚を超える写真の画像データが手元に届きました。
クリスマスが近づいた日のこと、その中から、父と母に聞いた話に関連の深いものをピックアップすることにしました。
節目写真館から届いたメッセージのなかに、処理した画像は、是非、多くの人と楽しんで欲しいという主旨の言葉があったことが行動のトリガーでした。
何世代も前の、東北の小さな村の暮らしと生活感が伝わってきました。
画像のキャプションは、故郷の東北訛りで入れてみました。
迎えたクリスマス。87歳と84歳の老夫婦が並んで座るソファの前にプロジェクターを据え、白黒の懐かしい画像を送っていきました。
魂が、遠く懐かしい故郷に誘われました。
それから2カ月後のある朝、父が静かに逝きました。
葬儀会場で、父の故郷の画像を流していると、参列した同郷の方々が、東北訛り全開で、思い出話に花を咲かせていました。
形式的なことの苦手な父が、その様子にホッとして、笑顔で旅立っていった気がします。